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国進ニム  2017年 5月27日質疑応答  (サンクチュアリ NEWより)

国進ニム  2017年 5月27日質疑応答

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「どんな基礎の上に王国が建てられるのか」国進ニムの質疑応答5月27日
皆さん、こんにちは。
えらく、偏って座っていますね。
あちらに座らない理由があるんですか?

あちらにいるのは誰だろう。
カメラの位置を気にしないで、くつろいで座っていますね。

さあ、何から話しましょう。
王国について話していたのではないのですか。
だからここに残っているんでしょう?
王国についてどんなことを学びましたか。
神様の王国のすばらしい所はどこでしょう。

そう、王国は自由の地です。
神様の王国の基礎をごらんなさい。
お父様は神様の王国はどのような所だとおっしゃいましたか。
良心で暮らすとしたら、それは自由意志をもつことですか、もたないことですか。
良心をもつということは選択の自由を得るということです。
自分の信じることの正誤を、関係性や状況を理解するうえで自分の道徳観にもとづいて決めることができるということではないですか。

自由の要素、自由意志があるのです。
愛はどうですか。自由意志なしに愛は存在しますか?

愛するように強制することはできませんか。
できない?
神さまの王国は、良心の王国、自由意志の王国です。
自由意志があれば、必ず愛を得ますか?
少なくとも、愛される可能性はあります。
公平ではありません。
ある者は愛され、ある者は愛されないから神様の王国は不公平ですか?
ひどい神様ですね。

だから、神様の王国では、自分で何かをしなければなりません。そうしなければ、何もあっちから与えられません。
例えば、お腹がすいたらどうしますか?
仕事を始める?それだけの知恵がなければどうします?
確かに建国の父のひとりは、空腹こそ勤勉の最高の動機だといいました。
おそらく今お腹がすいているんでしょう。

どうやって生活するか考えなければなりません。
でもこれはいい質問だしとても大切な質問です。
神様の王国を考えるとき、そこに必要な要素があります。
自由意志と選択の自由です。何事も自分から始めなければなりません。
そこに保証はありません。リスクがあります。

物事にリスクがあり、保証はありません。
愛を得ることができないかもしれないし、食料を得ることができないかもしれない。
そんな世界に住みたいですか?

(はい)

どうして?
われわれの話している天国の基礎となる要素を見るとき、強制のない、個人の選択に根ざしています。それが天国建設の思想的基盤です。

だから天一国憲法をみるとき、そこに違いが・・基礎がある。つまり自分の人生をつくっていく上で、幸福を追求していく上で、選択の自由と良心、自由意志を持つこと、これが根っこにあるのです。しかし成功する保証はありません。経済的に成功する保証もありません。情緒的に成功する保証もありません。しかし最終的に愛を見つける可能性、人生に満足する可能性はあります。神様が計画されたものです。

神様の王国についてその要素を語るとき、具体的に、憲法のクラスで話し合うとき、反対側を見てみましょう。サタン側ではどうなっているのか。

サタンの王国の思想的基盤はなんでしょうか。
選択の逆とは何ですか?

力(強制)ですね。

サタンの王国では基本的に、彼が自分より多くを持っているとしたら、そばに行って一緒になってそれを盗もうとするのです。それが社会主義でしょう?

社会では、それぞれの人がそれぞれの量の社会資源をもっています。所持金の量も違います。それが不公平だといって・・。不公平だという人々を集めて、不公平だと叫びをあげる。そして盗み取る。もし人がそれに抵抗すると、どうやって盗みますか?

どうしますか。その人たちを殺して、打倒し自分たちが作ったわけでもないものを、奪い取ります。それが社会主義の基本でしょう?それがサタンの王国の基本です。

ねたみと嫉妬、奴は自分より多く持っている、奪い取ってやれ。そういう社会では、道徳は何によると思いますか。平等主義の考えは、正しくないでしょう。悪ですか?

(機会の不平等は・・・)

そう、機会の平等があり、結果は不平等になる、これがポイントです。
人はそれぞれ能力に違いがあり、才能も異なるからです。そう、みんなそれぞれ唯一の存在です。たとえ、経済的平等を強制的に実現させようとしても、人は不平等のままです。幸福度に関して不平等は残るからです。ある人は別の人より幸せでしょう。ある人は愛する人とともにいるけれど、ある人は悲惨な状態でいる。だからたとえ、結果的に経済的平等をつくりだしたとしても、幸福における不平等が生じます。平等が生みだす結果は何ですか。

サタンやサタンの王国、サタンの思想、社会主義、共産主義について語るとき、その問題に直面します。「自分は犠牲者だ」「不公平だ」こういう思いを持つ心理は、決してなくなりません。経済的平等になったとしても。

絶えず嫉妬の思いは生じます。自分自身の向上に目を向けないからです。苦労して、個人としての自己を見ようとしないからです。つねに自分を人と比較する。

そう、根っこに他人への嫉妬があるのです。出て行って自分で人生を切り開こうとしない。
惨めな自分の中に自分のアイデンティティを見つけようとする。結局それは何ですか?

その自己中心の塊は?偶像崇拝です。
社会主義の基礎は、偶像崇拝なのです。犠牲者である自分を崇拝しているのです。
ここで十戒に戻るのです。だから神様はわれわれに偶像崇拝を禁じたのです。

終わりがないからです。

社会というものは結局、基本的な原則、原理に基づいています。
きわめて単純な教訓が社会、国家、世界の基礎にあるのです。
世界を見るとき、大きくて、とても複雑にみえるでしょう。
複雑さが世界をつくっているのではありません。
根っこにある、基本的で単純な哲学的原理のうえに全世界が成り立っているのです。
だから自由な意志の上に築かれた社会と、強制の上に築かれた社会では根本的な違いがあるのです。これは二律背反、お互いに交わらない原理です。うまく調和しないのです。水と油のように。結果平等の社会を追求するならば、力を用いて平等にするなら、それは絶えず自由意志の思想から自分を引き離すことなのです。そしてその強制力をつくりだす組織が成長するにつれて、その力を濫用し、抑圧的力を強めていくのです。そうして、戻れない坂道を転がり落ちるのです。

エデンの園でアダムとエバが堕落した時のことを考えるとき、エバがいかに無邪気にリンゴを食べたことでしょう。しかしひとたびその道を下り始めると、世代を超えて滑り落ち続けるのです。エバの行いの結果は無限に倍加され、この世界すべてがサタンの被造物となり、サタンの王国が作られることになったのです。

だからそこが問題です。どこから始めるかが重要なのです。どんな基礎の上に王国が建てられるのか。種が問題です。植えた木は何の種なのか。良い種か、悪い種か。

基本的な道徳的価値が、根本的に全世界の運命を決めるのです。世界がどうなるか。これは皆さんが選択する問題です。全統一運動がお父様の聖和の時に選択すべき問題でした。どのような王国を求めていくのか。神様の王国のビジョンは何か。一人の選択が重要です。あなたの選択がいつも同じとは限りません。周りを取り巻くこの世界、キリスト教に基づくこのわれわれが喜びを得る世界、それが西洋文明を発展させました。建国の父が革命戦争を通して闘い取った世界。人々がただ日々関わり合うことだけで、保証される世界ではありません。
実際これは歴史上特異な出来事だったのです。人類歴史のほとんどはこんな風にはいかなかったのです。
「家族とその血統のために自分が何をすべきか考えなければならない」(その3)

自由な社会は長続きしないのです。本当に悲しむべきことはこれです。
われわれの先祖が聖書的歴史期間を通して自由と自律の憲法を掲げて、このアメリカ合衆国を建てるために働き続けてきました。ここまで何百万という人々がこの国のために命を懸けたのです。それを相続した人々は、先人の労働と犠牲のおかげで、この国にみのった実を享受してきました。しかし相続したその価値を貴重に思わなかったのです。それが大きな問題です。世代を超えるということが。ただで手にした実を尊ぶようにどのように子供を教育しますか?独裁ではなく自由を選んだのは「私」です。父から受け継いだものの価値を受け継がせていくこと本当に試練であり難しい問題です。

それは神様の創造以降、アダム、エバを通してできなかったことなのです。彼らは神様から相続した価値を理解できなかったばかりか、それを駄目にして、僕(しもべ)に与えたのです。しかしその僕はそれを世代を継いで相続してきました。聖書的意味でこれを見るなら、最初に与えられた祝福はアブラハムに与えられたものでした。自分が創造主から与えられた祝福の価値の意味を父として子孫に伝えることができたという意味で模範です。

アブラハム家庭が勝利した、第2世代、第3世代へと続くこの祝福の伝承、イスラエル民族にまで確保したこの祝福の伝承。これこそ私たちが家庭をもつときから抱える大きな挑戦です。夫婦間の理想の関係だけではなく、その価値を血統を通して両親から子供に伝承するのです。

アブラハムは、イサクとヤコブをとおして勝利者となりました。だから、神様はその三代を一つとみなしました。なぜなら地上で時間を超えて権威が継続するためには世代を超える権威と責任の伝承が必要だからです。それに成功しなければ血統は、終わってしまいます。

そこが個人であること、神様の真理と愛をもつ善なる個人であることと、天一国の王になることの違いです。主権を考えてみたとき、それは個人的な自由だけではありません。主権は血統を通じて次世代また次世代に伝承していくものです。

だから今、王様があなた方に王冠をかぶりなさいという時、皆さんは神様から頂いた祝福を自分一代で消費するのではなくどうやって次世代に伝えるべきかを考えなければなりません。だから「私」だけの問題ではないのです。王国の王になりたいと思う人、すべてが相続について考えなければなりません。

(質問者)あなたがおっしゃる、自由とその伝承について考えました。いま子供たちにその価値をどうやって教育したらよいか今一つよくわかりません。無償で与えるものですから、幼い子供はその価値を理解できないのではないでしょうか?

(国進ニム)
問題は自分が一生かけて努力してきたものをどうやって子供に伝えるかという問題が最大のポイントです。子供に関していえば、あなたは自分の血統を王として、自分が選択しなければなりません。自由意志と責任をもって自分が築いた財産を、(子供たちのうち)ジョンに与えるか、ジェイか、それともジェーンなのか・・・あるいは自分の責任を放棄して、子供たちに平等に分けるというか。世代を超えて主権を発展させる家庭になるか、一代限りの主権で終わる家庭になるかのそれが境目です。

つまり、一つの子供に対するテストです。しかし最後には、霊界に行くのだから、あなたは選択しなければなりません。

(質問者)
もし子供たちに全く平等に分け与えたとしたら、価値を理解できずに社会主義的に引き込まれるのでしょうか?

(国進ニム)
そこがポイントです。あなたが父親として、これが一番簡単だからといって、子供たちの位置や個性を考慮することなく「皆、平等に与える」といえば、誰が自分の血統として相応しいかという選択を放棄することになります。

ここで、少し困った立場に置かれたことを自覚しますか?ここが主権と主権なしの違いです。王であるのか、僕、奴隷であるのか。選択です。難しい選択です。一生を通して、家庭、国家建設などに向けて選び続けなければなりません。どのように子供に相続させるか、子供たちをどう評価するか、どう判定するかという選択までしなければならないのです。子供たちの徳をいかに測りとり、判定するのか。

主権を話すのは簡単です。責任を語るのも容易いことなのです。神の国で王になると話すことも簡単なのです。しかしその役割を責任もって成し遂げることは、もっと難しいのです。

堕落世界を見るとき、法律が人々をどういう道に押しやっているのかが分かります。基本的に法律は、遺産は子供たち全員に分けて、一人に集中させないようにしています。他の国でも、アメリカでもそうです。また基本的に、自分が蓄えたものを、退職後の生活で死ぬまでにすべて使い果たさせようとしています。99.99%の人にとって社会はそういう風に仕組まれているのです。その理由は何でしょうか。平等主義の原理、すべての国民に機会を与えようとする動機からきているのでしょうか。違います。

そのような法律は後付けで作られたのです。王を欲しない、一家の血統をもたせたくないある勢力が存在するということです。世代を超えて気づかれる財産を、散財させたいのです。アメリカ社会でさえ、現在の法体系では、本当に裕福な者には法の抜け穴があって、いくらでもあるその抜け穴から、税金も取られずに実は一人に富を集中させることが可能なのです。上手く遺産対策をすれば。基本的にシステムがそういう風に、人々が世代を超えて富を蓄積することができないように設計されているのです。だから人々の大半は神の国の王権に参画できないのです。わずかな人だけが、弁護士を大勢雇って次の世代に富を相続させているのです。それによって、ごく少数の一族が世界の人々の命運を握るなどということができるのです。だから一般の人々が相続や後継に関する決定と選択を難しくする法律こそ根本的に世界の人々の害になっているのです。それでは社会が良くなりません。

だから私たちがコミュニティとして、神様の王国創建について考えるとき、それは避けて通ることのできない問題だというのです。どうやってその法律を変えていくか。いかにして普通の中流クラスの人々が賃金奴隷になることなく、現実の主権者となることができるのか。次世代が富を相続できなければ、主権者とは言えません。

(質問者)音が小さくて聞こえない

(国進ニム)
相続税もあれば、贈与罪などあらゆる税があって、人に何かを贈りたければ税を払わなければならないこともあります。様々な分野で、国民が財産を子に譲ろうとすると、政府がそれを取り上げる仕組みがあります。しかし信託法や国家計画をよく理解して、国の先を行くなら、そのような税のしくみを回避することも可能です。

(質問者)

世代から世代へと財産を受け継いでいけば、たとえ政府が「このお金は、これこれの目的に使う・・」といっても、それが必ずしも正しくないということを学ぶことができるように思います。個人の主権ということを重んじれば、誰が最も相続に相応しいか、そして家族全体を守ることができるのか。世代間の相続は、主権の価値全体をある世代の正しい人から次の世代の正しい人に受け継がせることのように思えます。

(国進ニム)
賢明な選択をするということはあなたの責任です。必ずしもすべてを一人に継がせることが必要だとも思いません。多くの子供がいて、一緒に働くことができるなら、相互の協力が可能なら、個人の財産というよりは事業をある割合でシェアすること、協調を継続できるなら、子供たちそれぞれに価値があるとわかるでしょう。しかしあなたが親としてその価値、功績を判定しなければなりません。

両親にとって、とても難しいことは、子供たちを見て、この子はあの子より優れているからこの子に多く相続させようと、決めることです。しかしそれは現実です。それぞれの子供はそれぞれ違った才能を持っています。家族とその血統のために自分が何をすべきか考えなければなりません。世代を超えて主観をいかに発展させていくか。相続させるものはお金だけとは限らなにのです。お父様にとってそれは、「真の父母の祝福」がだったのです。つまり祝福を与える権能です。本物の遺産です。 
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