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私の献身したころ モーセ路程だった。

この内容 特に 韓鶴子氏が文お父様の後継者だ 完成勝利されたという内容は問題があり ます。
 しかし この内容がキーポイントであると感じます。
研究してみてください!!!
 

第二章 カナン定着時代

第一次七年路程

 四十年荒野路程が終わったのは1985年8月15日であるが、年でみると、85年で終わったので、1986年から本格的にはカナン定着時代に入り、1992年までが第一次七年ろていとなった。
お父様はいつも七年路程を前半と後半の二つに分けられる。1986年から、88年までの前半三年間は三年路程だった。
当時は、この七年路程をカナン定着七年路程と言っていた。この路程は、1945年から52年までの路程に匹敵し、
1992年までで、戦後の七年路程を全部全うするという勢いだったが、今から見ると、七年間では難しいので、ある意味では、1945年からの七年路程を、
今、三次の七年路程に分けて歩んでいるということになる。七年の内容を二十一年間で今やろうとしている。

1、前半三年間(1986~1988年)

 86、87、88年の三年ろていは、
中心的に父母が天の立場で責任を持って、地上に足場を持たない霊界の存在、天使長の立場をアメリカを中心に基盤を築いて勝利することにより、縦的基準を立てられた。
この三年路程は三日路程の意味を持っていた。
サタン分立の出発のための三日路程であった。特に中心的には、摂理三国、アダム国家韓国、エバ国家日本、天使長国家アメリカからの世界的な基準でのサタン分立の期間であり、
そこからいよいよ共産主義の牙城に向かって行くんだという意義を持った前半三年だった。

 1)1986年

 1986年は、三年ろていの一年目であり、1983年と全く同じく、一年目に決定的勝利基盤が必要となる。
ちょうど83年は勝共大会によって、神側に決定的な勝利基盤をもたらしたように、この新しい三年路程も、86年は一年目なので、韓国アダム国家に神側の勝利基盤が必要である。
その韓国の中心であるメシヤ家庭において、決定的な勝利基盤が築かれなくてはならない。1986年12月24日クリスマス・イブ、突然、顕進様の御聖婚が発表された。
この日は、約婚の段階で、結婚式は翌、1987年の3月31日、郭先生の長女の全淑様と御聖婚された。
結婚式が、87年の3月31日だから、何もあわてて約婚を発表しなくてもよいのにと思われた。当の顕進様はまだ学生でした。
顕進様に後で聞いたところによると、感想としては、立ち上がれないほどショックだったそうである。子女様も祝福においては試練を受ける。
全く準備もない中で信仰を持って受けとめて、素晴らしい家庭に向けて出発する。なぜこうしなくてはならないのか、それは、お父様の摂理だからである。

 これがお父様の摂理観である。勝共大会の時と全く同じである。
87年は二年目の厳しいサタンの試練を予想した時に、メシヤ家庭において、決定的な勝利基盤が必要であった。
それゆえに、顕進様を約婚し、基盤をつくった。真の父と真の母のもとに、孝進様、興進様と顕進様の三人の男の子女様が祝福されたことになる。
誉進様と仁進様と恩進様の三人の女の子女様がおられ、顕進様が祝福されることにより、87年3月31日のお父様の祈祷の中に見られるように、二通りの見方から、ノアの家庭の八数基台を復帰し、
揺るぎない家庭的基盤をつくられた。第一の見方は、真の父母のもとに、男の子女様を中心に、セムの立場の孝進様、ハムの立場の興進様、ヤペテの立場の顕進様がそれぞれ相対者を与えられ、
ノアの夫婦のもとに、セム、ハム、ヤペテがそれぞれ妻をめとって八数の家庭的基盤をつくったことと同じ基台をつくられたという見方であり、もう一つの見方は、
真の父母のもとに、男性の三人の子女様と、女性の三人の子女様が合わせて、ノアの時と同じ八数の基台をつくったという見方である。
このノア家庭の八数の基台になる、揺るぎない四位基台ができたことをもって、87年という困難な年を越えて行かれた。
これは単に漠然とした結婚式ではなく、復帰摂理上の観点をふまえながら、サタンとの戦いにおいて、まず一年目に揺るぎない基盤をつくるという根本的な見方があった。
ゆえに、クリスマス・イブのようなあわただしい時期に行ったのは、その婚約によって基盤をつくるためであった。

 a)日本

 1985年の4月7日に「父母の日」を迎え、お父様はこの日特別な許可をもらって、ダンベリーから一時出られて、父母の日を祝われた。
その時に、お父様は日本のリーダーを呼んで、「君たちが決意しなければ、安着式ができない」と言われた。
その決意しなければならない内容は、TV100の献金の摂理であった。このTV100を一ヶ月で果たさないと、越えられないと言われた。
この時から続けて何カ月もそれを勝利できず、ついに86年の10月にお父様は「86年の12月までにTV100を勝利しなければ、とんでもないことになる。エバ国家の使命が失われるぞ」と言われた。当時必死になってやった。非常な運勢と基台があって、12月についに献金目標を全うした。これが一年目におけるエバ国家の決定的勝利基盤であった。日本においてもこの基盤をつくって、87年を越えていく準備をなしていった。

 b)アメリカ

 一千万名署名の摂理 日本ではサインをすることにあまり抵抗を感じる人は少ないが、アメリカはサインを重要視する国なので、
主旨を説明して会員になるようにサインをさせることは相当に難しいことだった。これを86年内に全うした。これがアメリカにおける一年目の勝利基台だった。
メシヤ家庭においては、ノア家庭の八数の基台、日本においては100数の献金摂理、アメリカにおいては一千万の署名をして越えた。
摂理三国の各国において、決定的勝利基盤をつくったのが、86年だった。

 2)1987年

 二年目の87年はサタン側の攻撃と試練の非常に厳しい年であり、ちょうど84年の同時性の年であった。
1988年の神の日にお父様は説教された。「1987年にも金日成とソ連の政治局が一つになって私を消し去ろうとして、私を暗殺する計画をしました。
1987年12月までにレバレンド・ムーンは地上にいなくなるというのが彼らの結論でした。」金日成とソ連の政治局は、87年の12月までにレバレンド・ムーンはいなくなると豪語した。
彼らは連合赤軍を使って、イーストガーデンを爆破しようとした。
ところがたまたま車の検閲があって、調べられたところ、物騒な車が見つかり、とんでもないテロリストが来ていることが発覚し、すぐにお父様に連絡されてかろうじて未遂に終わった。
このように非常に危険な年が87年だった。文先生の暗殺計画が明らかにされた。もしその車が入ってきていたら、大変だったが、導かれて、たまたま事前に発見された。
86年に決定的勝利基盤を打ち立てていたので、サタンは打とうとするが、打てなかった。そのため導かれたのである。これが摂理である。
二年目は厳しいということをお父様は霊的に見抜かれていて、サタンが打とうとしても打てない基盤を一年目につくろうとしてやってこられた。

 a)日本

 86年の12月に、不可能と思えた100数という目標のために、全国が一丸となった。
久保木会長、小山田先生、古田社長が父母の日にTV100の目標を受けた時、君たちが一体化すれば勝利するんだ、といわれ、本当に結束した。
超組織的に結束して12月を迎えた。それゆえに、この調子で行けば、これから1月、2月もやっていけると、非常な自信を持って87年を迎えた。
基盤もしっかり築いて、上昇気流に乗っていた。しかし、87年は二年目であり、二月は二数、十三日の金曜日はイエス様が十字架に架かられた日で不吉な数であり、
おまけに仏滅でもあるその日に、被害弁連という弁護士会が初めてマスコミにいわゆる霊感商法問題を登場させた。
87年の2月13日は、何十年に一度しかない13日の金曜日と、仏滅が重なる日だった。ここからあらゆる攻撃が、テレビ、新聞、週刊誌、あらゆる雑誌を通して始められた。
それで今までの献金摂理の上昇運が完全に頭打ちにされた。ここから日本の摂理は受難の時代を迎えた。
しかし、その中でも、サタン側がどうして後一歩で最後のとどめをさせるのにできないか、と思うくらい厳しい状況に崩されずに越えてきた。
あらゆるマスコミからの攻撃にも崩されなかったのは、、一年目の基盤に守られていたからと考えられる。
今まで統一教会は霊感商法をやってませんと言うが、どういうことが原因で、どういう見解を持って誰が責任を持つのかということに対する明確な回答を出さずにきた。
それゆえに、どんなに良いことをしても、悪く言われてきた。ブッシュ大統領が来ても、あれは霊感商法の一環で、利用しようとしてると言われたり、純血キャンペーンをしても、
あれは霊感商法のために人を集めて金儲けをしようとしてやっていることだ、と言われたり、何をやっても霊感商法だと言われ、日本の統一教会はこれゆえに意気消沈してしまっていた。
周りから誤解され、素晴らしいことが全部悪くとられてきてしまった。これをクリヤーしない限り、自信を持って伝道できない。」
今年の2月頃から、ようやく霊感商法ではなく、開運商法であるということを訴え、石井さんが「開運商法」という本を出し始めた。
86年から九年目にしてようやく見解が出されて、これを持って真っ向から霊感商法の真相を解き、はっきりとマスコミに言うという段階に入ってきた。

 b)アメリカ

 70年代は、韓国は朴大統領、日本は田中首相、アメリカはニクソン大統領とみな鷹派の人物が、アダム国家、エバ国家、天使長国家にそろっていた。
特に、ニクソン大統領は反共の筆頭であり、ソ連に脅威を与える大統領だった。しかし、ウォーターゲート事件という、秘密盗聴器をウォーターゲートに仕掛けたことで、
ワシントン・ポストを中心に激しく糾弾され、ついには大統領が失脚してしまうという事件が起きた。
盗聴器を仕掛けること自体は非難されるべきことかもしれないが、しかし、それによって大統領を失脚させるようなことではなかった。
そして、反共、鷹派のニクソンの失脚の後、フォードを経て、カーターが大統領になった。
カーター政権はとても容共的政権だったので、そのもとで起こったのがフレーザー委員会、コリア・ゲートの事件だった。
朴先生は真実を語り、フレーザーを許さないと、真剣に戦った。ある時、朴先生がお父様に「お父様、本当に申し訳ありません。
私の不祥事でこんなフレーザーに自分が糾弾されるとは」と言ったところ、お父様は、「何を言ってるんだ、お前は戦っているんだ」と言われ、
書類にサインする時も、「お前はダビデの精神でやるんだ」と言われて、’ダビデ朴’とサインするように言われた。そこで、自分はダビデになるんだといって戦っていった。
もしも、このフレーザー委員会で敗れていたら、真の父とカーターとの戦いの前哨戦に負けたことになり、お父様にまで影響していた。これを朴先生の必死の信仰と努力で越えていった。

 80年代は、韓国は朴大統領の身代わりで出てきたような軍出身の全斗換大統領、日本は田中曽根内閣だと皮肉られるほど、田中首相の援助を受け、田中首相と類似点のあった中曽根首相、
アメリカは、右翼、反共の筆頭であるレーガン大統領が立った。そのレーガン大統領が強い脅威をもってソ連を叩いていった時に起こったのが、
イラン・コントラ事件だった。ベイルートでイラン系のテロリストにアメリカ人が人質にされた。
アメリカはイランと秘密交渉をして、武器を売る代わりに人質を解放してもらうことにした。
さらに、その武器を売った利益をコントラという、ニカラグアの反政府軍の反共闘士に資金として流した。
この資金を流したのは、NSC(米国安全保障会議)のノース中佐であった。米国議会はこれをとんでもないことをしていると糾弾して、第二のウォーターゲート事件のようになった。
民主党は、ここぞとばかり、レーガンをやっつけろ、ということで、大変な国内問題になった。
この事件に一番深くかかわっていたノース中佐が「確かに私はレーガン大統領の命令によってやりました」と言ったならば、かつてのウォーターゲート事件と同じように、
こんな大変な大統領は辞めさせろ、と人々が言い始め、レーガンは失脚に追い込まれていたところだった。
そこで、ノース中佐の「ノース証言」がどうなされるかが注目されていた。彼が一言、「自分が命令されてやりました」などと言えば、とたんにひっくり返ってしまった。
ノース中佐は、法の許すぎりぎりの範囲内で何とか反共闘士である反政府軍、祖国を共産主義から守ろうとしている人々に援助をしようとしているのに、
議会はその政府に対して、難癖を付けるとは何事かと言った。
自分は自分の信念でこれをやってきた。アメリカ政府は、そういうことをすべき使命があるではないか、と言って、最初は犯罪人が引かれていくような立場で糾弾されていたのが、
逆に堂々とこれを守ることが大切であるということを訴えた。
実はその背後では、朴先生がアトランティックビデオで「真実」のビデオを見せて、ノース中佐を教育していた。自分はこのように戦ったんだ。
あなたも堂々と戦って欲しい、と言った。ノース中佐は当時のニューズウィークで、悪役から一転して一大ヒーローになってしまった。
この中に「私は真実を語るためにここに来た」と、朴先生が言われたこととそっくりのセリフがある。
朴先生の教育が相当効いたようである。堂々と私は真実を語るために来たんだと述べ、大統領から命令されたんだろうと言われると、
自分は大統領に対して忠誠を尽くしたんだと言って、「もし大統領が私のような中佐に命じて、そこのすみで逆立ちしろというなら、よろしい、私はそうするだろう」
とここまで自分は大統領に忠誠を尽くしたんだという彼の愛国心に国民は感動した。
これはアメリカが忘れていた、大統領を支え、アメリカを真に愛する者の精神であるということで、一躍英雄になってしまった。
それで、それまではノース中佐の証言でレーガンを崩せると思っていたのに、大逆転して、ノースはすごい、これがアメリカの精神だと讃えられた。
もしも、このイラン・コントラ事件でノースが失敗し、責任転嫁をして、大統領に命令されたんだといったなら、どうなっていたかということは彼自身も知らない。
この事件の重大性を摂理から見ると、イラン・コントラ事件が解決されないと、次にワシントン・タイムズが危機状況に落ちることになっていた。
お父様は、ダンベリーから、ニカラグアの援助をしろと命令された。議会が予算を削ったとき、どうしてアメリカは援助しないかと、
大々的キャンペーンをワシントン・タイムズではって、ついに議会を覆して、ニカラグア援助を勝ちとっていたことがあった。
ワシントン・タイムズによって、ニカラグアの反政府軍に援助をしていくことになったという経緯があるで、もしここで、ノース中佐がおかしな発言をしていたら、
このイラン・コントラ、ノースも悪いが、そういえば、あのワシントン・タイムズもコントラに対しては大々的キャンペーンをはった。
これはとんでもない新聞だ、ということになり、さらに、お父様にまで危機がよってくることになっていた。
これは、かつてフレーザー委員会の事件がお父様にまで危害を及ぼそうとしたことと同じである。
イラン・コントラ事件の失敗は、ワシントン・タイムズとお父様にまで危機を及ぼす内容を持っていたので、お父様は心配されて、ノース中佐を支援しながら、教育をして、ついに立ち上がらせた。
このように、二年目の試練を、日本は霊感商法の真っ直中で戦い、アメリカは、イラン・コントラ事件の真っ直中で第二のウォーターゲート事件になるかならないかという
危機的状況を一年目の勝利の基盤の上に乗り越えていった。このように、摂理には重要な時というものがあることが分かる。


 3)1988年

 1988年は三年路程の三年目であり、1960年陰暦の3月16日の父母の日の御聖婚式(陽暦の4月11日)から二十八周年目にあたる。
お父様は結婚して二十八周年が、夫婦として最高の運勢があるんだ、と言われる。
御父母様は天運と共にあるので、夫婦として最高の運勢であるということは、天運が最高だということになる。
二十八周年目であり、しかも三年目でもあるので、天運の絶頂期になる。そして、1986年からの三年路程の三年目で一つの基盤をつくるために、韓国において、基盤がつくられた。
韓国はちょうど、1988年がソウル・オリンピックの年にあたり、日本の高度成長経済もオリンピックと共に勢いよく発展したように、韓国においても昇る龍といわれるほどの勢いで経済が発展した。
国運が非常に高まるときだった。しかし、本当の意味での国運とは、天運と一致してはじめてその国に継続的な運勢をもたらすことができる。
お父様は、この韓国のオリンピックを見つめながら、いかに天運を韓国という国に定着させて、本当の国家的な運勢を高めるかという観点から、88年の摂理を出発された。
1945年に3年を足すと、1948年になる。48年は不思議な年で、第一イスラエル、すなわち、ユダヤ民族が西暦70年以来ようやくイスラエルの国を持つことができた年である。
また第三イスラエルの韓国が四十年間の日帝の支配の後、李承晩が立ち、ついに大韓民国として独立した年でもある。
このように、第一イスラエルと第三イスラエルが1948年に国をつくったということは、非常に不思議なことである。
同時性から考えて、1945年から40年立った1985年は同時性の年であり、それから3年を足した1988年は、1948年と同時性的内容がある。
この年の年頭標語は祖国統一であった。40年前に、第一、第三、イスラエルが建国した運勢でもって、南北を統一するチャンスがあった。
もう一つの観点は、1945年に43年を足した年が1988年であり、43数には、第一イスラエルは四百年のエジプト苦役時代が三十年延長されて、
四百三十年目に解放されて、カナンに出発した時の四十三数という意味と、第三イスラエルである韓国は、檀紀約四千三百年の年を迎えたという意味があった。
このように、意味のある四十三数を迎えて、最高に運勢のある年が1988年だった。イスラエル民族が解放されたように、四千三百年で韓国が解放されて、まさしく南北統一の運勢があった。
数的に見ても、このように祖国が解放されて、韓半島が解放される運勢の時であった。その契機となるのが、ソウル・オリンピックであった。

 4)第二十四回ソウル・オリンピック(1988年9月17日~10月2日)

 このオリンピックは全世界百六十カ国から選手達が集まった。冷戦構造の共産圏と自由圏の対立の峠を越えて、二十四回目には安定して、それまでの最高の数の国が参加した。
百六十カ国の参加は興南刑務所におられたお父様を救出した国連軍の参加国が十六カ国であったことと同じく符合する。
世界百六十カ国への宣教や、氏族メシヤの百六十家庭伝道など、再臨主は百六十数を重要な数として扱っている。
お父様はそのオリンピックの前に急きょ世界の宣教師に呼びかけて、世界百二十カ国から韓国に集まるように言われた。
この宣教師達は、1975年に1800双の祝福を受けて、準備をしてすぐにアフリカや、ヨーロッパ各国に行った人たちが主だった。
しかし、集められた人々は何のために呼ばれたのか分からなかった。とにかくお父様が来いと言われたので集まって来た。
宣教師が直接選手村をたずねてメッコールをあげたり、いろいろな物資をあげたりしながらとことん尽くして、選手達と完全に一体化する摂理があった。
この百六十カ国の選手達はカインであり、宣教師はアベルだった。アベルとカインの一体化が願いだった。さらに、ここに真の子女も参加しなくてはならないという摂理があった。
メシヤ家庭として、どうしても参加しなくてはいけないという摂理的背景があって、顕進様と恩進様が乗馬で参加された。
その子女様と宣教師達が一体化しなくてはならなかった。
真の子女様がアベルであり、宣教師がカインだった。
こうして外的なカイン・アベル(選手団と宣教師)と内的なカイン・アベル(宣教師と真の子女様)を一体化させるために、宣教師達を呼び、子女様を参加させた。
韓国において、真の父母を中心にして、全てが一つになる摂理をオリンピックを通して進められていた。

 お父様は三台のテレビを置いて、こちらは水泳、こちらは陸上、こちらはボクシングという具合に、ボリューム最大で激しく鳴らしながら見ておられた。
お父様を中心に、韓国の先生方が熱心に応援しながら、すさまじく白熱した渦の中で観戦されていた。
お父様がしょっちゅうテレビを見ているので、自分たちは忙しいからと言って、韓国の先生方は一人去り二人去り、だんだんと静かに去っていった。それに対してお父様はものすごく怒られた。
神様が投げる天運というボールを受けとめるために誰よりもオリンピックを愛したという条件が必要である。だから同時にテレビであらゆる種目を命懸けで見るんだと言われた。
久保木会長もその時漢南洞に泊まっておられて、早朝から深夜までずーっと見た。久保木会長の最後の感想はもう生涯テレビは見たくないとのことであった。それぐらい本当に命懸けだった。
それはそういう条件を立てて、天運を韓国に受け継ぐという目的でされていた。このオリンピックの摂理は、百六十カ国の選手団と、宣教師、宣教師と真の子女様のカイン・アベルの一体化の摂理だった。
さらに、共産圏において、天使長国家であるソ連がカインであり、東ドイツがアベルの立場であった。
本来は、アベル国家の位置に北朝鮮が立たなくてはならなかったが、北朝鮮だけはこの時ボイコットしたので、仕方なく東ドイツがアベルとして立った。
この共産圏の国々が、オリンピックに参加して一つになった。
さらに、自由圏において、天使長国家であるアメリカがカインであり、アダム国家の韓国がアベルになって、一つになる摂理があった。
お父様は「ソウル・オリンピックと摂理史的一致点」というみ言を語られた。
ソウル・オリンピックに摂理史的一致点をいかに見いだすかということが先生の関心であり、いかにこの世紀の祭典を摂理と一致させるかという点において神経をつかわれた。
一番金メダルを取ったのがソ連で、次に多く取ったのは東ドイツであった。3位はアメリカだった。ここまでの順位は普通だった。
第四位には、金メダルを十一個取っていた国か四つあって、韓国もその中に入っていた。
最終日の段階でボクシングの試合があって、そこでもし韓国が決勝戦に勝てば、四位に入るが、負ければ同率の国が立つという状況であった。
ところがどう見ても判定でバンバンやられて、これは韓国はダメだな、と誰もがそう思っていた。その時、それで韓国のレフリーがいて、いきなり、韓国が勝ったとやり始めた。
クレームが付いたが、そのまま押し切って、韓国はとうとう十二個取ってしまった。その一押しで四位に浮上してしまった。
結局、カイン・アベル、カイン・アベルときれいに、ソ連・東ドイツ、アメリカ・韓国と並んだ。お父様は何度も、このオリンピックには天運が働いていると言われた。
本当に天運到来という感じで、全てがピタピタと導かれていった。このようにして、見事に、真の父母を中心にして、カインアベル一体化のオリンピックの摂理を勝利した。

 5)世界統一国開天日(1988年10月3日)

 オリンピックの終了の翌日、1988年10月3日に決められた。
オリンピックで全ての世界的カイン・アベルが一つになったという背景を持って、この日が決定された。そしてちょうどこの年は、韓国の檀紀4321年だった。
また韓国は10月3日を建国記念日として、「開天節」に定め、国家的に祝っている。韓国が四位になったという勝利感に酔いしれつつ、オリンピックを終え、翌日に「開天節」を迎えていた。
お父様は、その「開天節」に合わせて、「開天日」を決定された。この4321年という数は、偶然にできたものではなく、4ー3ー2ー1とつながり、次に0が来る。
0とは、原点に帰ることを意味し、いよいよ復帰摂理が終結して、神の原点を迎えることを意味する。すなわち、これは、神の国の出発の式典であった。
もし将来、地上天国の創立記念日はいつですかと聞かれたなら、1988年10月3日と答えなくてはならない。この日は、地上天国の創立記念日である。
これが顕在化するには時間がかかるが、地上天国はすでに水面下で出発している。すでに天においては、創立記念日が決定されている。
ゆえに、この偉大な「開天日」は、当時、六番目の名節として決定された。このように、オリンピックを背景として「開天日」が宣布され、その「開天日」を背景にして、6500双の祝福がなされた。

 7)6500双の祝福(1988年10月30日)

 1988年の10月30日に行われた6500双の祝福は、サタンの干渉圏を越えた祝福だった。内的には、サタンのザン訴圏を越えた堕落以前のアダムの骨髄から出発している祝福だった。
6500双の祝福は今までの祝福と違う。先輩方の祝福と次元が違う。6500双はアダムの骨髄から出発している。ここが違うんだと言われていた。
しかし、そのことはお父様は777双の祝福の時からすでに言われている内容であり、新しいことではない。大きく6500双の祝福がそれ以前の祝福と違う点は、お父様の勝利圏の違いにあった。
「世界統一国開天日」によって、神の国の出発の祝典という原点に帰ってからの初穂としての6500双の祝福はその背景となる勝利圏が違う。

 そして、外的には、国家的怨讐、すなわち、韓日という歴史的怨讐関係を越え、愛で一つになることによって、サタンの干渉圏を越えた。
韓日祝福の数が一番多かったのが6500双であった。まさに、怨讐関係の韓国と日本が一つとなった。このように内外共に、サタンの干渉圏を越えた祝福だった。
そして、それは韓日という怨讐関係を越えた「国際交差祝福」でもあった。
このような点において、非常に歴史的な祝福を与えられた。

 1988年は87年と雲泥の差がある。
87年には日本は霊感商法問題、アメリカはノース証言で吹き荒れ、お父様の命は狙われるなど、さんざんな87年だったのが一転して、
三年目の88年には、(御聖婚)28周年のオリンピックは大成功、そして「世界統一国開天日」が制定され、6500双の祝福がされたということは華々しい歩みとなった。
お父様はみ言の中で、「先生は四十三年間、1988年がいつ来るのかと考えなかった日はなかった」と言われた。
お父様は、戦後1945年以来、88年がいつ来るのか考えなかった日はなかったと言われるくらい、この年をターゲットにして歩んでこられた。
ここに天運が到来する。一気に決着をつける時だという勢いで、この88年を歩まれ、歴史的な勝利をされた。そしてもう一つ大事な点は、三年路程は縦的な基準を立てる時であり、
それはアメリカを中心に基盤を築くということであるのだが、この運勢圏の中で、1988年の11月に、天の願う大統領としてブッシュ大統領が立てられた。
AFCという組織を使い、全アメリカの基盤を持って、はじめは不利だった状況を覆して、ついに天の願うブッシュ大統領を立てたということは、アメリカにおける勝利基準だった。
この三年間は、韓国でも先のような基盤をつくり、アメリカでも大統領を当選させたという、縦的な基準を立てた年であった。

2、後半四年間(1989~1992年)

 前半三年間は天が責任を持ったが、後半四年間は地において子女が責任を果たす、重点的にはより子女の責任が問われる四年間となる。
そして、三年間が縦的基盤のためにあったのに対して、この四年間は横的基盤を築くための期間であった。

 氏族メシヤ摂理

 この横的基盤をつくるための具体的摂理として、氏族メシヤ摂理が本格化された。
1989年から92年までの四年間で、氏族メシヤの摂理が、具体的、全面的に出てきた。
氏族メシヤ摂理とはいかなる摂理かということを理解するために、いくつかのポイントを説明する。

 1)長子権復帰

 氏族メシヤの摂理を理解するためには、長子権復帰を理解しなければならない。その長子権復帰を理解するために、アダム家庭の教訓があった。
カイン・アベルにおいて、特にアベルが精誠を尽くさなくてはならない。神の愛に自分の愛も足して、カインを愛した時に、アベルはカインを自然屈服させ、カインが持っている長子権を復帰できる。
または、アベルが父母の心情、僕の体で降りていった時に、カインはそのアベルを心から愛せるようになる。
これが長子権復帰の課題である。そのような背景を持って、長子権を復帰するために、お父様は八段階路程を歩まれ、1989年の8月31日に「八定式」を定められた。
お父様は蕩減条件として、僕の僕から出発された。そして、アベルとしてカインのところに降りていった。僕の僕としてカインの僕のところへ行く。
カインの背後にはサタンがいて、カインと相対しているので、カインの僕のところへ行くと、彼らは攻撃したり、激しく迫害する。
カインの背後にサタンがいて、サタンはいつもカインを使ってアベルを亡き者にしようとする。それをいかにして越えて行くかという戦いが八定式の出発点であった。

 カイン圏から同情と祝福を勝ちとったら勝利である。真の愛で苦労して、真心込めて接した時に、カインの良心がうずいてくる。
勝利とはどういうことかというと、カインが素直に心を開き、カインの背後のサタンが分立されることである。それが僕に勝利したことであり、勝利したので帰ってくることができる。
僕の僕であるアベルが僕であるカインのところへ行って、真の愛で苦労し、同情と祝福をカインからもらって、僕としてアベルの位置に戻ってくる。そしてまた、アベルはカイン圏の主人のところへ行く。その主人の背後にもサタンがいる。
何かとっちめてやろうとして迫害してくる。ところが、誰よりも精誠を込めて頑張ると、主人がだんだん同情してくる。最後には、お前はよくやる、みあげたものだ、どうだうちの養子にならないかと言う。このようにして、カイン圏の主人に勝利して帰ってくると、養子圏に上がることができる。僕から養子へと一段階上がる。結局人間は堕落により、神との関係が僕の僕にまで落ちてしまった。お父様御自身は完全一体化して実子圏におられるが、堕落人間を代表してここまで降りて、この溝を埋めるために勝利基準を立てられた。一段階、一段階、神様との溝を埋めてきた。このようにして、僕の僕から、僕、養子、庶子、実子に至り、妻を復帰し、父母の立場に立って、神の心情圏まで行く。これを縦的八段階という。父母様は、この縦的八段階を完全に勝利された。これを、横的八段階の、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神で勝利し、8×8で64段階の勝利をされた。この八段階を勝利して完全に神が定着できる基盤をつくったことにより八定式が制定された。この戦いの本質はカイン・アベルの勝利のための戦いであった。カイン・アベルの戦いにおいて、個人から復帰の最終段階である天宙まで勝利し、天宙的長子権復帰の完結は八定式をもってなされた。八定式をもって、長子権復帰は終わった。六千年歴史は、長子権復帰の歴史だった。それを、真の父母様がみごとに1989年8月31日をもって全うした。その背景をもって、三権復帰がなされていった。

 2)三権復帰

 アダムは堕落して、善悪の母体となった。必ず神様の摂理は堕落したアダムには相対できないので、分立摂理をされ、悪の表示体と善の表示体にはっきりと分ける。

この善の表示体がアベルであり、悪の表示体がカインである。このアベルが真の愛を投入して苦労して、同情と祝福を勝ちとるまでに尽くした時に勝利する。これが長子権復帰である。
いかにアベルがカインを真の愛で自然屈服させるか、いかに、カインとアベルが一体化するかということが歴史のテーマであり、アダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭の摂理であった。
モーセ路程も、イエス路程も、父母様の今日までの路程も、この長子権復帰をずーっとやってこられた。

 世界を二分した、世界的アベルである民主世界と世界的カインである共産世界を一つにする基準を立てたのが「世界統一国開天日」だった。
1988年10月3日に制定されたこの「開天日」はオリンピックを契機として、ソ連、東ドイツ、アメリカ、韓国を中心として、共産圏と自由圏が完全なる一体化をするようにお父様が働かれ、
定められた。この「世界統一国開天日」は世界的長子権復帰だった。世界の次は、地上界をアベルとして、霊界をカインとして、
地上界を主体として霊界を一つにするという天宙的なアベルとカインの一体化をしたのが「八定式」だった。これは天宙的な長子権復帰だった。

これは1989年8月31日である。これ以上の立てられるべき勝利基準はない。お父様はアベルとカインの関係の段階を兄弟主義と呼ばれた。
今まで歴史は兄弟主義だった。兄弟主義とは、兄弟喧嘩である。世界的な兄弟喧嘩が弟の民主世界と兄の共産世界が戦ってきた冷戦構造であった。
ここでカイン・アベルの一体化により、子女が一つになると、この基盤の上に父母が復帰されて、真の父母が立てる。
アダム家庭において、子女復帰は父母復帰であったのと同様に、アベル・カインが一体化した上に真の父母が立てるようになる。
ここに父母主義時代を迎えることができるようになる。八定式の制定が分岐点となり、真の父母が立ち、兄弟主義から真の父母主義になった。
親が出ないと、兄弟喧嘩は終わらないのが道理である。だから世界的兄弟喧嘩の、民主-共産の冷戦構造も、父母が立たないと終わらない。
真の父母が立つことによって、アベルとカインを一つにまとめて、喧嘩両成敗にする。

アラスカで、8月31日に「八定式」が制定された後、その時同席されていた神山会長は、お父様から「先生がこの八定式を定めたからには、これからお前の前で世界が、劇的に変わるのを見るだろう」
と言われた。1917年のロシア革命以降共産圏が誕生し、それから、スターリンはポーランド、チェコ、などの東欧諸国を共産化し、
アジアにおいては中共、北朝鮮などの様々な国が共産化して、ものすごい勢いで伸びてきた。お父様は共産国誕生以来六十年がピークだと予言された。
なぜかというと、六数というのは、六日間につくられた人間が堕落した結果、サタン侵害数となったので、サタン圏の共産国家が一番運勢の強いのは、その六数である。だからこの六十年にサタンが働く。
六十年目に一番サタン的運勢がある。ロシア革命から、六十年目を迎えようとする1975年の4月に、ニクソン大統領が米軍のベトナムからの撤退を決意し、
アメリカ軍がどんどんとベトナムから引いた結果、ついにサイゴンが陥落した。
1975年の4月についにベトナムが共産化された。それからすぐにラオスが共産化され、カンボジアが共産化されて、カンボジアから、百万人の難民が出た。
それから、次々とアフリカの国々が共産化された。アフリカの次は中米へ移り、ニカラグア、エルサルバドル、次々と共産化されていった。
この時もしもメキシコまで共産化されていたら大変だった。すでに、アメリカにとって共産主義は外の問題ではなく、足元に火がついた。そうしたらとても海外、世界へ軍を派遣できない。
その、守らなければならない国がニカラグア、エルサルバドルだったので、何とかこのイラン・コントラにおいて、コントラを支援しなければならなかった。
そこを守らないと、メキシコまで来てしまう。アメリカが危機に襲われる。
そしてさらには中東において、1979年についにソ連はアフガニスタンまで軍事侵攻した。
またたく間に東南アジア、アフリカ、中米、そして中東にまで広がった。これほどまでに共産圏が世界に拡大した時はなかった。
この時アメリカは第三十九代カーター政権だった。
カーターは人権外交を掲げて、対ソ融和政策をもって、できるだけソ連と話し合っていこう、ソ連に刺激を与えないでいこう、という弱腰外交をした。
共産圏というものは、弱いと見るや、抵抗しないと見るや、攻撃してくる。それゆえどんどん伸びた。この当時はもう第三次大戦になるのではないかという危機感までただよった。
しかし、お父様は言われた。「確かに危ないけれども、しかし、七十年は越えられないよ」と予言された。
なぜ七十年を越えられないのか。七十年とは七千年の象徴であり、これは六千年間の復帰摂理と、千年王国を迎えて、完全に神の国は到来する七千年の復帰摂理歴史の象徴である。
これは神の歴史に対する聖書的預言である。お父様はそれを具体的に、その七千年を象徴する七十年は天の数である。
これをサタンは侵害できない。七十年目の1987年を越えた1988年からは、共産圏は衰退するという摂理観だった。
1988年にオリンピックを勝利し、「世界統一国開天日」から大変な天の側の基盤ができた年になった。しかし、まだ国際情勢としては、表面化していなかった。
翌1989年に入り、8月31日にお父様は「八定式」を制定された。
11月の9日に「八定式」からちょうど七十日目を迎え、ベルリンの壁が崩壊した。
東西分断、冷戦構造の象徴のベルリンの壁が、それまで絶対に、難攻不落と思われていたにもかかわらず、この日に崩れ去った。
これが「八定式」から七十日目のことであった。その前には、ポーランドから、チェコ、ハンガリーと次々と社会主義政権が民主化され、ついにはあのチャウチェスク政権という独裁政権も倒れ、
そしてドイツの壁の崩壊へとつながっていった。
さらには、1989年の12月3日にブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長との米ソ首脳会談がマルタ会談として行われ、冷戦の終結を宣言した。
お父様が言われたように、七十年を過ぎて、ついに1989年12月3日に父母主義が訪れたからには、民主世界と共産世界の喧嘩は終わらなくてはならないというみ言のごとくに終わっていった。
だから、摂理というものは恐ろしいものである。
今や国際政治と摂理とが表裏一体なので、摂理を理解しないと世界の動きは分からないのである。
翌1990年の2月8日にソ連が一党独裁を放棄した。その時、読売新聞に、「ソ連が一党独裁を放棄した。革命後から七十年、歴史的転換」と載った。
世の中の人も、この七十年を恐るべきほどの歴史的転換として自覚した。こういう事件はただ偶然に起こっているのではない。このような摂理的背景をもって起こっている。

 このように兄弟主義から父母主義と時代が展開して、最終的に、お父様は勝利されたアダム、お母様は勝利されたエバとして、
アダムとエバのなすべき、天使長の主管をして創造目的を完成するという責任を果たすために、世界的天使長を主管しなくてはならなかった。
そこで、お父様は、アメリカを自由圏の天使長国家、ソ連を共産圏の天使長国家、中国をアジアの天使長国家とされた。これらは、三大天使長国家として制定された。
その国々に基盤をつくって、天使長を屈服せしめるような基準を立てた。米国、ソ連、中国の摂理をして、
結論的には、勝利したアダムとエバとして、天使長を屈服せしめた世界的な天使長国家の基盤をつくった。
そうすると、アダムとエバが天使長を主管したら、その上に立つ方が神様である。その上に神様が君臨できる。
神様は天の父なので、ここに天父主義が必然的に到来するようになった。こうして、父母主義から、天父主義の時代に入ってきた。

 観点を変えて見ると、この兄弟主義は、アベルがカインを自然屈服させて終わる。
これを長子権復帰といい、真の父母主義は父母権復帰である。
そして、天父主義で神が立たれることによって、神の王権の時代、王権復帰の時代が来る。これを指して三権復帰という。
このように八定式以降、長子権復帰の時代が過ぎ去って、父母権、王権が立つ時代を迎えた。今まで六千年歴史は長子権復帰を求めてきた。
この父母権と、王権というものは、表裏一体であり、父母が立てば、王権が立つのである。
長子権復帰から父母権復帰という歴史的大転換期、長き六千年の長子権復帰の戦いが「八定式」をもって終わった。そしていよいよ、父母権、王権が立つ時を迎えた。

 3)歴史的大転換期

 1989年の8月20日、「八定式」の十日前の説教にあるように、救援摂理時代が完結して、真の愛による愛援摂理時代に入ったということが転換の内容であった。
愛援とはお父様の造語である。
救援という言葉に対応させて、愛によって導かれるので愛援という言葉を使われたと思われる。
救援時代の特色は、蕩減の時代であり、復帰摂理によって導かれた時代であるということだった。
一方、それが今や転換して、愛援時代に入り、本格的な責任分担の時代に入った。
愛援時代は、人間の本来的な責任分担を果たす時代であり、創造原理に導かれ、創造原理に基づいて、責任を果たす時代である。
このような転換だった。しかしながら、私たちには蕩減すべきざん訴条件が残っている。あくまでも、父母様の勝利圏においては、蕩減の時代が終わったということである。
それ故まだ私たちは蕩減を理解しなくてはならないし、その真っ直中を行かなくてはならない。ただ、時代圏はもはや、蕩減の時代から、本来的な責任分担時代に来ている。
あとは、私たちが、そこに追いつくかどうかの問題である。その蕩減時代はさらに言葉を変えて言うと、移動の時代であると言える。
荒野を移動する移動時代なので、中心的に神の摂理を歩もうとすればするほど、出家が願われるようになる。結局、家を捨てて、故郷を捨てて、献身を願われてきた。
初期の頃は、世界のために行くんだ、とにかく行かなくてはならないと言って、家を捨てて、故郷を捨てて献身した。
中心宗教である統一教会においては在家信仰ではできない。
家庭と故郷をサタンが主管しているので、この環境にいると、信仰を失うから一旦は出なくてはいけなかった。これが中心宗教を歩む者の宿命だった。
しかし、今やその時代が転換して、定着の時代を迎えた。愛援時代は、カナン定着時代である。カナンに定着する時代を迎えたので、ここに還故郷の摂理が出され、故郷に帰れと言われた。
しかしながら、結婚式も、葬式にも帰ってなかったところを、急に帰れと言われて、困ってしまった。
初期の頃のそのような犠牲は大きかった。ところが、今は、なぜお前は帰らないのか、と言われる。
結婚式なのに、葬式なのに、なぜ帰らないのか、帰らないことが不信仰になってしまった。
このような摂理の大転換というものは恐ろしいものである。還故郷して、氏族を伝道せよと言われた。ここで出てきたのが、いわゆる氏族メシヤである。
このような大転換をして、定着の時代を迎えたので、氏族メシヤの摂理が出てきた。
もちろん、氏族メシヤの摂理が出てきたといっても、全体目的と個体目的があるので、全体的摂理と、自分の氏族の伝道とがある
。日本の東京で、還故郷をみんながしてしまうと誰もいなくなってしまうので、東京で伝道をし、十分な基盤をつくりながら、将来故郷に帰る考えで、今は東京で歩んでいる兄弟もいる。
アメリカにおいても、還故郷で全員が故郷に帰ってしまうと、アメリカに責任を持つ人がいなくなってしまう。
それで、当然アメリカでも個団摂理というものがあるべきである。
その使命を果たしながら、手紙を書いたり、電話をしたりして、いろいろな作戦を組みながら、故郷の人を伝道しなくてはならない。これを一方的にやってはいけない。
段階を経ながら、目指していく。しかし意識においては、還故郷の摂理が来ていて、その転換点に氏族メシヤの摂理があると知らなければならない。

 4)七・一節 (1991年、7月1日)

 1991年7月1日に七・一節が制定された。この日は神様祝福永遠宣布式の日であり、真の父母の完全勝利を決定した日であった。
父母として、これ以上の勝利はないという、完全勝利を決定した。
聖書を見てみると、創世記に、神は六日目に人間を造られたとあり、神は第七日に全ての作業を終わって、休まれたとあるのだが、神様はアダム・エバの堕落以来休んだことがない。
それ故、この記述は過去形をもって未来のことを暗示していると考えるほかない。将来神様は休まれなくてはならない。それがアダムとエバが勝利した日である。
このアダムとエバの立場に於ける真の父母が勝利したときに、神は休まれる。ゆえに神様祝福永遠宣布式は神の永遠の安息を決定したものであった。
ちょうど1991年の1月から6月までの六カ月間を神が六日目に人間を造られたのと同じように、六数の再創造をして、神が七日目に休まれたように、
  七数を迎えた最初の日にお父様は神様祝福永遠宣布式を定められた。創世記二章三節に「神はその七日目を祝福して、これを聖別された」とある。
お父様はこれを付合して、七数を祝福して神様祝福永遠宣布式を立てられた。まるで天地創造を再現したかのような偉大な勝利である。
それがまさに七・一節だった。

 お父様の勝利された「八定式」を我々も本来は子女として勝利しなくてはならない。
私たちも本来、縦横の八段階の勝利が必要である。しかし我が身を振り返れば不可能なことである。
残された道は、父母の勝利したものを相続する以外にない。この世の中で親が亡くなった時、その財産を相続するためには必ず相続税を払わなくてはならない。
この世の法律でも相続税があるように、天的相続税を払って、父母の勝利圏を相続しなくてはならない。
その相続税が氏族メシヤを果たすということである。
親戚を伝道し、地域の人を伝道し、百六十家庭伝道を全うしたという条件があって、はじめて父母の勝利圏が相続される。
この日を機にして全世界的に、自分自らが、氏族のメシヤをやるとして、氏族メシヤ相続宣布式とし、出発する日となった。
真の父母の完全勝利というのは、天宙的三権復帰である。長子権・父母権・王権復帰をお父様は七・一節までに勝利して、父母が勝利したので子供に相続させることになった。
それが氏族メシヤである。氏族メシヤはすでに二~三年前から言われてはいたが、1991年、7月1日から出発したと言える。
5月頃から全世界の祝福家庭は申請書を提出させられた。
「これを書かないものは、先生は責任を持たない」とお父様は言われた。そこで焦って、みんな、家族の写真を貼って一つはニューヨークの本部に、一つは日本の本部に送った。
そして、五月、六月にかけて、私は氏族メシヤをやりますと言う申請書を書いた。
お父様はこの申請書を書いたという条件を持って7月1日に全面的に氏族メシヤ出発と言われた。
7月に出発したが、準備の期間をおいてから9月から、韓国において大々的に出発し、古い祝福家庭は全面的に故郷に帰った。
日本は経済摂理があるので簡単にはいかず、9月に、アメリカで19年歩まれた神山先生が会長として日本へ来られ、
久保木会長から神山会長に代わり、二万個団の氏族メシヤの基盤をつくる使命を持って出発された。
今もまだその使命は果たされでいないので、これを正使命として、家庭連合の会長として、この目標に向かっている。
そして、去年は氏族メシヤ以外の何ものもない、年頭標語、「真の父母の勝利権を相続しよう」から始まった。父母の勝利権の相続が氏族メシヤであり、去年1995年にさらにこれを強調された。

 5)女性中心の摂理時代

 後半の最初が氏族メシヤということだが、もう一つがこの四年間はまた、女性中心の摂理で、特に日本では強調されてるが、これは何も日本だけでなく、
全世界的に女性中心の時代が到来したということである。
その背景を見てみると、何といっても、女性の中の女性はお母様であるから、その時代を切り開いたのはお母様の勝利路程である。
三段階で考えると、お父様は個性完成の基準、神の直接主管圏に個人的に入られたのは1960年の父母の日(陰暦3月1日、陽暦3月27日)である。
父母の日はお父様が個人的勝利基準を立てた記念すべき日で、ここに真の母を迎えたが、しかしお母様は実はここ(長成期完成級)の基準で直接主管圏ではなく祝福され、御聖婚をされた。
この時、私こそ文先生に選ばれると期待していた女性が韓国にたくさんいた。そのような渦中で弱冠十七歳の韓鶴子夫人が天の花嫁として選ばれた。これにはすさまじい衝撃が起こった。
天宙の花嫁となる方があんな小娘のような女性なのか。お父様とお母様がお部屋にいるとずかずか入って来て、「あなたは私の夫を盗んだ」ということを言う女性もいた。
この純粋なお母様がどれほど傷ついたことだろうか。筆舌に尽くしがたい、そういう思いで、ものすごい体験の渦中にいた。
今までお母様はお母様のお母様から温室の中の一輪の花のように育てられた。
男性の顔をまともに見たことがなかった。それぐらい大切に育てられてきた。ところが御聖婚されてからは、砂漠の真っ直中に追い出されたようなものだった。
その時の頼みの綱はお父様だった。周りからは誤解され、非難され、中傷された。そのお父様が厳しく、「あなたはしばらくは玄関から入ってはいけない。裏から入りなさい。」
「しばらく私と一緒に住むのではなく、この女の家にいなさい。」と、新婚生活とは思えない扱いを受ける。
周りからは誤解され、せめて自分のことを知っているはずのお父様は冷たく扱うという、大変な期間をお母様は歩まれた。このお母様が大変な期間を歩まれる。
これが七年路程、大変な期間だった。筆舌に尽くしがたい期間であった。アメリカで1977年に父母の日にお母様の証会があった。
お母様が御聖婚当時のことを話されると、途中で胸がつまって途中で終わっている。語るのも辛い、思い出すのも辛い、こういう秘められた内容が七年間にあった。
お母様として、七千年間の蕩減を圧縮して果たすような期間だった。エバは、「とって食べてはならない」というみ言を明確に知っていたのに堕落した。

だから真の母となる方は、エバの蕩減として何も知らされないで、何も教えられないで、ただ絶対従順、ただ完全従順でいかなければならない。
そういう使命を持って、何も分からないままに七年間を出発して越えられたのである。
こうして、初めて神の直接主管圏に入られた。これがいつかというと、1968年に制定された神の日だった。
神の日とは何か。神様がこの勝利したアダムとエバの下に初めて地上に臨在できる足場を見いだした。神を中心として父母が一体となり、ここに神が臨在し、足場を持った家庭が誕生した。
ある人は「神の誕生日」と表現された。すなわち、無形なる神が、初めてこの地上に顕現できる足場を持ち、地上に誕生した偉大な日である。
これはお母様が七年路程を勝利されて、初めて神の直接主管圏において、父母が一つになったそのような基準です。

 これは家庭レベルである。お父様はさらに氏族レベル、民族レベル、国家レベル、世界レベルと勝利基準を立てられた。
そして天宙的な長子権復帰をもって、八定式が89年の8月31日に制定された。
しかし、お母様はそのような勝利をされていなかった。後から付いて行かれた。
真のお母様は第三十一回の父母の日を迎えた1990年の3月27日、お母様は勝利されたと宣言を受けられた。
そのお母様の勝利で、お母様は統一教会の第二の創始者であると宣言を受けられたのである。
すなわち、お父様がもしも霊界に行かれることがあるなら、その後、この地上はお母様が後継者です。
いずれは子女様にバトンタッチされる。その過程において、お母様はそこまでお父様と一つになり、勝利して、お父様の思想、伝統を受け継いでいる。だから、第二の創始者である。
お父様としては安心してまかせられる。この勝利は何かというと、お母様が八定式レベル、天宙レベルで勝利された、お父様と同じ基準で一体となった。こうして第二の教主として出発された。
すると、お父様は1991年の万物の日を6月12日にお祝いされて、そのすぐ後に6月15日に急にカナダに行こうと言われたわけです。
カナダに着いて、お母様を中心に、日本を代表して四人の女性、
その当時のリーダー夫人、すなわち、久保木哲子夫人、小山田のり子夫人、桜井節子夫人、古田きょう子夫人を立たせて、お父様が特別の祈祷をされた。
1991年の6月15日であった。この式典はお母様の勝利圏を日本に伝授する、日本にとっては相続するという式典であった。
お母様が八定式レベルの、天宙レベルの、第二教主となった勝利圏を日本の四人を通して、エバ国家に相続させるものであった。それをカナダでやった。
なぜカナダなのか。カナダは英国の植民地だった。英国の延長上にある北米大陸に於けるエバ国的立場だと言われている。そのエバ的国家で、お母様の勝利圏の伝授が行われた。それがカナダにも引き継がれた。

 お父様の摂理は無駄が多いと言われる。例えば、このカナダの摂理である。
お父様は最善を考えた時に、エバ国家が勝利する、日本がエバ国家として勝利することを願われている。
しかし、もし日本が失敗しても慌ててはいけない。布石が必要だ。その時、カナダに日本の使命を移すという布石を打っておかれた。
というふうに、いつも最悪を考えて、準備されるお父様だから、無駄が多い。いつもどんな状況をも考えているからである。

 お父様はさらに勝利基準を高めていかれた。内的には八定式で完全な勝利をされたけれど、外的レベルにおいては、1991年にここに世界平和連合をつくられて、総裁となられた。
1991年8月28日であった。しかし、お母様は何の対外的立場もない。ここに、お母様の新しい路程が出発される。このカナダの式典の時に、小山田夫人がお父様に提案した。
この年の9月の日本でのアジア婦人連合の大会で、お母様をメインスピーカーとしていただけませんでしょうか。と進言すると、お父様は、「それはよい!」と、手を叩いて喜ばれた。
しかしお母様はびっくりされた。なぜびっくりされたかというと、今まで統一教会のメンバーでも、お母様のお話をほとんど聞いたことがない。
いつも、お父様の横におられて、挨拶をすると、向こうにいなさい、とお父様に言われる。ほとんどお母様は御挨拶で、にこっとされて行ってしまわれる。
後はお父様がとうとうと話され、お母様は教会内の人にもほとんど話されない。ましてや対外的には皆無だった。
それが急きょ、アジア平和婦人連合、後のアジア平和女性連合、県会議員の夫人、社長夫人だとか名だたる人たちが来る。お母様でもすごいプレッシャーである。
この時は、もうすごい抵抗された。そうしたら、お父様は「オンマ、決めたよ」と決定された。次の日、小山田夫人が6月16日、お父様にお会いした。
そしたら、お父様は、「オンマはね、昨日一晩、部屋で悩んでいたよ」と言われた。このように、お母様が悩みの絶頂から受けて立たれたのが91年9月17日だった。
ここに、東京ベイNKホールというところで、大会を開いた。そこで、お母様は「アジア女性」の東京大会。
超満員の、七千名の婦人を集めて、素晴らしい大会をされて、お母様が堂々とスピーチをされた。初めてとは思えない、堂々とされた態度でデビューされた。
この同じ91年10月30日に韓国で、アジア平和女性連合のソウル支部をつくった。その基盤の上に、91年11月20日「アジア女性」のソウル大会が行われた。一万五千人を集めて行われた。
ここで一つ言えることは何かというと、真のお母様とその基台になるのが何かというと、
アジア平和女性連合が基盤となった、ラケルである韓国の女性とレアである日本の女性の一体化である。
すなわち、女性のアベル・カインの一体化である。そして事実、ソウル大会の時には日本からたくさんのアジア平和女性連合の人が行って手伝った。
そして、韓国の女性と一つになって、レアとラケルが一体となって、お母様を支えた。11月20日の大会の後、韓国でずっと日本の女性達に修練会があって、その時にお父様はこう言われた。
エバを中心としてアベル・カインが一体となる時、その基盤の上に、ここに真の父母が立ち、サタン側のアダムである金日成が屈服する。
11月20日に、アジア平和女性のソウル大会が開かれた。その11月20日からその大会に協力していた女性に対して修練会をやっていた最中、その11月30日にいわゆる北韓訪問をして、
12月6日に金日成に会われた。そして、金日成と抱き合って、彼を完全に屈服せしめられた。
なぜ、このような北朝鮮訪問の道が開けたのか。それは、最終的には真の母を中心にして、レアとラケルの基盤ができたからである。
エバを中心として、レアとラケルが一体化すれば、サタン側のアダムが屈服する。実に北朝鮮の摂理の背後にはこのような女性摂理があったのである。
女性の一体化というのは、非常に重要な摂理の要である。まさしく、アブラハムの摂理が、サライの信仰の勝利によって開けたように、
お母様の信仰と、それを支える女性達の信仰によって、お父様の道が開けた。女性がアダムの道を開く。これを具体化したものが、北朝鮮の摂理だった。
そういうことも相まって、非常に重要な摂理だった。

 さて、それから、翌92年4月10日、ここに世界平和女性連合が創設された。ソウル大会、この時十五万人をオリンピック会堂に集めて、十五万人大会が行われた。
その時、日本では非常に動揺があった。どういう動揺かといえば、アジア平和女性連合の動揺である。アジア女性は発展的に、解消するんだということになった。
今まで苦労して築いた基盤は世界平和にいくといったら、たくさんの人がやめてしまった。マスコミに叩かれたこともあった。議員の夫人とか名だたる人たちがバラバラと落ちていった。
アジアはダンベリーから出発した。お父様がダンベリー刑務所で小山田夫人を呼ばれて、これから新しい女性組織が必要だ、
お前が先頭切ってつくるんだ、と1985年、ダンベリー刑務所から命令された。
そして準備して対外的には87年に発会式をした。
内的には、85年から出発して、アジア平和女性連合東京大会(91年)まで、ぴったり六年間であった。
アジア平和女性連合は何か。
ちょうどケープケネディから、ロケットが発射するときに発射台が必要なように、世界に出発する時に、アジアという発射台の基地が必要なのである。
アジア平和女性連合を基地として、お母様を迎えて、一気に世界に向かった。
だからアジア平和の使命は91年9月、お母様をお迎えして、終わったのである。見事に勝利した。
そこで、発展的に解消していくのに、それが分からなくて、「アジア」は見捨てられたと、「アジア」なんて用はないんだと、寂しく去っていった婦人たちがたくさんいた。

 この大会の本質は女性解放宣布であった。女性解放とは何か。今日まで、女性は政略結婚の道具にされたり、男たちの目的のために、翻弄され、蹂躙されてきた。
しかし嫌な男からの解放はカイン的な解放である。本当の解放とは何かというと、それは真のアダムに出会うことである。今までなぜ女性が悲惨な歴史を歩んできたのか。
男がいなかったのです。
男はみんな天使長なのです。今まで女性は天使長に蹂躙されてきた。今初めて、アダムが世界的に立った。真のアダムが立ったのである。
それだけではない。その真のアダムに、相対できる真の女性が立ったことによって、全ての女性はお母様の分身体、延長体として、真のアダムに出会うことができる。
それによって、女性の内容が再評価され、女性の内容が認められ、真の女性解放がなされる。
女性解放は真の父母を通してなされる。このようなことをお母様は宣布された。
お父様の道はお母様の再創造の道である。お母様の道はお父様の足跡を寸分違わず歩いてきた道であった。
それが同等の立場に立つようになられた。
お父様は、世界平和連合の総裁であり、お母様は、世界平和女性連合の総裁だから、対外的にも、完全に並んだ。その勝利が92年の4月10日。
世界的レベルで、父母が立った。その後、7月から、お父様は、突如として世界平和女性連合の人を集めて、私が再臨主であり、メシヤであり、真の父母であると宣言された。
その最終的内容が何かというと、92年の8月24日、リトル・エンジェルス会館に、世界中の著名な人々を集めて、世界的レベルで私が真の父母であるというメシヤ宣言、真の父母宣言をされた。
翌8月25日が、三万双の祝福。だから、三万双の祝福はどういう意味を持っているのかというと、メシヤ宣言、真の父母宣言の初穂として、三万双のメンバーが祝福された。
そして、三万双は世界救済のための特赦であると言われた。
世界救済のために、特別に赦された。だから、信仰歴の短い人々も入ってきました。
ものすごい特赦で、三万双の恩恵に入ってきた。
そのようにして、三万双をされていったというのが、その経緯である。

 さて、このお母様の話に戻れば、ここで、十五万人大会を勝利された。
その後、即、韓国全土でメッセージを伝えていかれた。六十一カ所を回って、偉大なメッセージを語っていかれた。
この韓国の六十一カ所の後、日本で十カ所の講演をされた。それからアメリカでの講演のはじめの八カ所でされた。
その後、ヨーロッパに行かれた。
そのヨーロッパはまず、ドイツ、イギリス、フランス、イタリアを回っていかれた。
さらにヨーロッパを終えられて、ソ連とかニュージーランドとか、またフィリピンとか、
ものすごい勢いで世界を回っていかれた。それまでは、教会内の歩みをされていたのに、考えられないような93年のお母様の大勝利の年だった。
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ニコラス morison

Author:ニコラス morison
 韓国は北朝鮮と 中国に吸収されていくでしょう。
どうして 怨み深く社会主義化してしまったのでしょう。
 なぜ?イスラエルの様に亡ぶのでしょう?
 考えたことがありますか?